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福岡地方裁判所小倉支部 平成11年(ワ)231号 判決 2000年6月28日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

山上知裕

被告

学校法人産業医科大学

右代表者理事

中井敏夫

右訴訟代理人弁護士

廣瀬哲夫

主文

一  被告は原告に対し、金一〇六万一七七三円及びこれに対する平成一一年六月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、金一一七万九七四八円及びこれに対する平成一一年六月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

主位的請求及び予備的請求のいずれも請求の趣旨は同じであり請求原因が異なる。

第二  事案の概要

一  本件は、被告の修学資金貸与制度により資金の貸与を受けていた原告が、被告の指示に従い返還免除期間(一定期間指定される医療機関に勤務すると右貸与金返還が免除される)の算定を前提として若松芳野病院(以下「芳野病院」という)に勤務したところ、右病院は免除の対象外として返還金を請求されたことから、被告の説明義務に反した指示により損害を被ったとして、不法行為に基づく損害賠償請求をし(主位的請求)、他方被告に勤務する教授から右免除対象とならないJR九州病院への勤務を指示されたところ、原告がこれを拒否すると、医局からの退局を強要され、その後免除対象となる産業医等としての勤務が不可能となったとして、右教授らの行為は違法性があり被告に対して使用者責任(民法七一五条)に基づく損害賠償を請求した(予備的請求)各事案である。

二  争いのない事実等

1  原告は、昭和五八年四月被告に入学し、平成元年三月に卒業し、同年五月に医師資格を取得し、現在は北九州市精神保健福祉センターに勤務する医師である。

2  被告は昭和五三年に労働安全衛生法に基づき産業医を育成するため労働省管轄下の外郭団体として設立された私立大学であり、国立大学の入学金、授業料との差額分については修学資金貸与制度(以下「本件貸与制度」という)により貸与され、卒業後一定年数を被告が指定する産業医等の機関に勤務すれば、その返還を逸れるという制度を採用していた。

3  原告は、昭和五八年四月二七日、被告との間で修学資金貸与契約(甲一、以下「本件契約」という)を締結し、被告から六年間で七一八万四〇〇〇円の貸与を受け、年14.6パーセントの利子を併せ、合計一〇六一万七七二四円の貸与を受けた(甲五、一〇、以下「本件貸与金」という)。

4  昭和六〇年四月一日被告は、原告に対する本件契約上の地位を訴外財団法人産業医学振興財団(以下「財団」という)に譲渡した(甲四)。

5  原告は卒業後被告第二内科に所属し、次のとおり医局の指示に従い勤務していた(平成元年四月から同年六月までは卒後研修・基本講座)。

(一) 平成元年七月一日から平成三年六月三〇日 臨床研修医

(二) 平成三年七月一日から平成七年五月三一日(四七か月間)

専門修練医

(右期間中平成六年六月一日から平成七年五月三一日の間芳野病院に派遣されていた)。

(三) 平成七年六月一日から平成一〇年五月三一日(三六か月間)

門司労災病院

6  原告は、北九州市で行政の医師を募集していたことから、応募することとし、平成一〇年五月一〇日に試験を受け合格し、同年六月一日から被告医局の指示外の北九州市精神保健福祉センターに勤務することとなった。

7  平成一〇年七月九日ころ、原告は財団から本件貸与金の返還を求められ、右返還額の計算上前記平成六年六月一日から平成七年五月三一日の間芳野病院に派遣されていた期間は免除対象となる「産業医等として勤務していた期間」(本件契約四条三号)に算入されないこと、一部免除額は六九八万〇一七〇円となり、返還請求額は三六三万七五五四円となること、今後産業医に復職し一年一一か月間従事すれば全額免除となることなどの通知を受けた(甲五)。

8  原告は、平成一一年六月一五日までに財団に対し右返還請求額を支払った(甲七、八の1、2。但し財団は遅延利息分として更に三八万〇四一〇円を原告に請求してきている)。

三  争点

1  財団が本件貸与金の免除対象となる勤務期間として扱わなかった芳野病院への勤務を指示した被告の行為について、被告に不法行為責任が生ずるか(主位的請求)。

2  被告第二内科の教授らによってなされたJR九州病院への就労指示ないし原告に対する退局強要行為について、被告に不法行為責任が生ずるか(予備的請求)。

四  争点に対する当事者の主張

争点1について

(原告の主張)

本件契約上の地位は財団に譲渡されているものの、本件契約書(甲一)、産業医科大学医学部修学資金貸与規則(甲一一、乙一、二、以下「本件規則」あるいは「本件旧規則」・乙二、「本件新規則」・乙一という)、修学資金貸与制度にかかる想定問答(乙六)などからすると、就労指示権限及び産業医等の解釈権限を被告が独占していることなどから、被告には付随義務として就労指揮にあたっての配慮義務や説明義務があるといえるところ、原告が当時芳野病院での勤務が免除対象となる勤務期間として扱われないのであれば、原告は芳野病院に就労していなかったもので、右被告の説明がない就労指示によって被告は前記のとおり芳野病院に一年間就労することとなったことから、被告は不法行為責任を負う。

芳野病院での勤務期間が免除期間に算入された場合の返還金額は二四五万七八〇六円であることから(甲六)、原告が前記返還請求額三六三万七五五四円を支払った差額一一七万九七四八円の損害が生じたことになり、被告に右額の損害賠償請求をする。

(被告の主張)

本件制度上の就労指示権限及び解釈権限は被告にはなく、専ら財団(理事長)にあり、被告が原告を派遣するにあたり当該病院勤務が免除期間に算入されるかどうかの説明義務などない。

芳野病院での派遣期間は被告第二内科講座(当時石黒教授)の修練の一環(内科一般の臨床的研究)として派遣されていたもので、常勤として医員の職務に勤務(甲一・四条一号)していたものではないから、免除期間に算入されず(本件旧規則・乙二)、本件新規則(乙一)を選択すると(原告は本件旧規則の適用時に本件貸与金を受けていたので、新旧いずれか有利な方を選択できる)、卒後修練課程(原告は産業医修練コースⅡを選択、修練期間は六年間、以下「Cコース」という)終了後、四年一〇か月間産業医等の免除対象職務に就職すれば、返還猶予期間とされる卒後の受講期間二か月間及び卒後修練課程六年間のうち四年間を産業医等に勤務した期間とみなし、免除期間とみなされるところ(乙一・二二条三項)、原告は卒後修練課程終了後免除職務に勤務する期間が四年一〇か月に満たなかった(更に一年一一か月免除職務に就職することが必要)ことから、芳野病院での期間が免除期間に算入されないのである。

仮に原告が当時芳野病院での勤務期間が免除期間に算入されるものではないとの説明を事前に受けていたとしても、原告が免除職務に就きうる蓋然性はなかったのであるから、被告の不告知と損害との間に因果関係はない。

争点2について

(原告の主張)

被告第二内科の中島教授は、免除対象の医療機関ではないことを知りながら、平成一〇年三月八日、原告に対しJR九州病院への就労を指示し、これを原告が断ると、同内科太﨑助教授が「そんなに厭なのか。自分たちに迷惑がかかるのは分かっているのか。六月一日で退局でいいんだな。同門会(被告第二内科の同窓会)も辞めるんだな」などと言って退局を強要し、その後原告は、本件貸与制度の免除対象職務に勤務することが不可能となってしまったもので、やむをえず財団に対し平成一一年六月一五日一一七万九七四八円支払って損害を被った。

右教授らの行為は、違法性を有し、被告は民法七一五条により損害賠償責任を負う。

(被告の主張)

予備的請求については、請求の基礎に変更がないといえないため、訴えの変更に異議がある。

中島教授が原告に対し、JR九州病院に就労してくれないか打診したところ(「指示」ではない)、原告が断ったのは、同病院が免除対象の医療機関ではないからではなく、同病院で行う心臓カテーテル検査に自信がなかったことからである。

太﨑助教授が原告に対し退局を強要した事実はない。原告は平成一〇年四月末ころには北九州市の行政医師採用試験に応募し、太﨑助教授が退局でいいのだなと言った平成一〇年五月の連休明けころには原告は退局を決意していたものと考えられる。

第三  当裁判所の判断

一  前記争いのない事実等、証拠(甲一ないし一三、乙一ないし九、一一、以上の枝番を含む、証人太﨑博美、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

1  原告が被告から合格通知を受け取った際、同時に「修学資金貸与制度について」(甲一〇)と本件規則(甲一一)が被告から送られてきた。

「修学資金貸与制度について」には、次の記載があり、本件規則の内容を理解しやすく説明しているものである。

(一) 六年間で七一八万四〇〇〇円を貸与し、年利14.6パーセントの利子が付くので、卒業時の返還額は約一〇七〇万円となる。

(二) 卒業後、本件貸与金を借りた期間の1.5倍の期間産業医等に常勤として勤務すれば、本件貸与金は返さなくてよい。すなわち、六年間で卒業した人(原告はこれに該当)は、九年間産業医等として勤務すれば、返さなくてよい。

(三) 産業医等とは、次の者をいう。

(1) 事業場に専属する産業医

(2) 被告の教員や医員

(3) 労働省の職員

(4) 学校法人(被告)が指定する機関で、産業医学に関する業務に従事する医師または研究員など。具体的には、修学資金運営委員会の意見を聞いて指定することになる。

(5) その他個々の事例で以上と同じようなもので、学校法人(被告)が本件貸与金の返還免除が適当と認めたもの。個々の事例については、修学資金運営委員会の意見を聞いて決める。

2  原告は、昭和五八年四月二七日、右記載内容を前提に被告との間で本件契約を締結し、本件貸与金を受領することになったところ、本件契約書にも前記1と同趣旨の記載がある(但し、1(三)(5)の部分は、被告が産業医等と認めることが適当であると認めた場合における当該職務、となっている)。

3  原告は、平成元年三月に被告を六年間で卒業したところ、在学期間中被告や財団から原告や保護者に対して本件貸与金に関する正式な説明はなかった。

卒業前に、被告の学生課からは、卒業後医局に入局する場合、A、B、C三つのコースがあり、A、Bコースは、臨床研修中も免除対象となるのに対して、Cコースは二年間の臨床研修後四年間の専門研修を受け産業医となるが、臨床研修中は免除対象とならず、専門研修中は免除対象となるもので、A、Bコースより二年間本件貸与金返還免除終了が遅れるなどの説明を受けた。

原告は卒業後第二内科に所属し、前記争いのない事実等5のとおり研修医(二年間)、専修医(六年一一か月間)として勤務した。

原告は、当時医局の中島助教授から、専修医の六年までは専修医期間なので、産業医等に関係なく、どこの病院でも就労できる旨説明を受けており、平成六年四月ころ「平成六年六月より一年間芳野病院への勤務をお願いします。第二内科医局長」という一枚の紙を受け取り、芳野病院での勤務を開始した。

右勤務は医局からの派遣であり、週二回無休での大学勤務や医局からの雑用などもあり、原告は当然免除期間に含まれることに何の疑いもなく平成六年六月一日から平成七年五月三一日まで勤務した。

芳野病院は、健診業務なども入っているため、原告が産業医の業務として勤務していると誤解しても不思議ではなく、間違いが起こりうる状況にあった(証人太﨑博美)。

4  被告医局内では、教授(医局員の人事権は教授に属する)を中心に助教授、医局長がおり、原告を含めた医局員は、貸与金返還や就職先の斡旋などの関係で医局の指示には事実上逆らうことはできず、これまで、医局の指示した派遣先を拒否して医局に残り続けた者はいない(皆退局し、同窓会である「同門会」も辞めさせられる)。

被告医局内では、医局員の派遣先の決定は、貸与金返還の問題に関係してきて重要なことから、教授(医局員の人事権は教授に属する)が右問題を調整して原案を作成し、助教授、医局長、講師らが集まって議論して決定していた。

5  平成一〇年になって、第二内科内で免除対象の病院と思ってJR九州病院に派遣され勤務したところ、後に財団から対象外と通告され、医局に対し抗議や苦情を言った医局員(飯尾医師及び黒田医師)が出るようになり、その後任として同病院に派遣を命じられた医師数名が拒否して退局するという事態に発展した。

平成一〇年三月八日、原告は被告第二内科の中島教授から呼び出され、JR九州病院に行くように指示されたところ、同病院では心臓カテーテル検査があり、危険が伴うもので、原告の目標とする領域ではなかったこと(主な理由)、右のように免除対象となるかどうかで問題となっていたことなどから、原告は右病院での勤務を断った。

するとその後、同年五月の連休明けころ、第二内科の医局長であった太﨑助教授から原告は呼び出され、「そんなに厭なのか。自分たちに迷惑がかかるのは分かっているのか」と言われた。それでも原告はJR九州病院に行きたくない旨告げると、太﨑助教授から「六月一日で退局でいいんだな。同門会も辞めるんだな」などと言われ、原告は「じゃ辞めます」と答え、被告第二内科の医局を退局することとなった。

二  争点1(財団が本件貸与金の免除対象となる勤務期間として扱わなかった芳野病院への勤務を指示した被告の行為について、被告に不法行為責任が生ずるか)について

前記争いのない事実及び前記認定事実からすると、原告が芳野病院に派遣を命じられた当時、本件契約上の地位は財団に譲渡されていたものの、現実に派遣先を検討し、決定しているのは被告の組織の一部といえる第二内科の医局であり、医局員の人事権を有する教授が原案を作成し、助教授、医局長、講師らが集まって議論して決定し、決定の通知も医局長名でなされていることからすると、決定権限は被告に属していたと認められる。

そして、被告の大学としての大きな特色が本件貸与制度であるところ、その内容を説明する本件契約書、「修学資金貸与制度について」の説明、本件規則などには、免除の対象となる産業医等に該当するものが、被告が指定する機関あるいは返還免除が適当と認められたもので、具体的には修学資金運営委員会の意見を聞いて指定するなど被告(あるいは財団)の判断や解釈により決まるものがみられること、免除期間もA、B、Cコースに分かれ、免除の条件もそれぞれ異なり、本件規則には新旧規則が存在し、条件も異なって相当複雑になっており、免除期間の理解には誤解が生じやすいといわざるをえず、現実に原告以外にも派遣先が免除対象となると誤解して勤務し、後に苦情などをいう医師も数名いたこと、医局に属する原告にとっては、事実上医局の指示する派遣先を信用して行かざるをえない状況にあることなどの事情が認められる。

他方、被告に入学して本件貸与制度の契約を締結する学生にとって、免除を受けるには卒業後相当長期間(最低でも九年間、原告の場合は一一年間)被告の指示する就労先で勤務しなければならないことから、卒業後の貸与金返還免除の条件、当該勤務地が免除対象となり免除期間に算入されるのかどうかは大きな関心事であり、経済的にも将来の計画上も重要なものであるといわざるをえない。

そうすると、派遣先の決定権限を持つ被告としては、右の点に誤解が生じないよう配慮し、少なくとも派遣を指示するにあたり免除期間に算入される勤務期間であるのかどうかを説明する注意義務があると認めるのが相当である。

本件では、原告は、芳野病院への派遣を指示されるについて、右病院での勤務が免除対象外で免除期間に算入されないことを医局はもちろん誰からも説明されておらず、事前に医局の中島助教授から、専修医の六年までは専修医期間なので、産業医等に関係なく、どこの病院でも就労できる旨説明を受けており、右勤務は医局からの派遣であり、週二回無休での大学勤務や医局からの雑用などもあり、原告は当然免除期間に含まれることに何の疑いもなく一年間右病院で勤務していたものである。右のように原告が考えていたことについては、芳野病院の勤務状況からして誤解しても不思議ではなく、間違いが起こりうる旨証人太﨑博美も証言している。

以上のことから、被告は原告に対して芳野病院への派遣を指示するにあたり、右病院での勤務が免除対象外で免除期間に算入されないことを説明する注意義務に違反した過失があるといわざるをえず、被告は不法行為責任を負い、結果として芳野病院での勤務期間が免除期間として算入されなかったことによる損害を原告に対して賠償する責任があるといえる。

この点、仮に原告が当時芳野病院での勤務期間が免除期間に算入されるものではないとの説明を事前に受けていたとしても、原告が免除職務に就きうる蓋然性はなかったのであるから、被告の不告知と損害との間には因果関係はない旨被告は主張する。

しかしながら、原告が事前に芳野病院が免除対象とならないことの説明を受けていたら、別の免除対象となる病院への派遣を医局と交渉することなども考えられ、当時原告が免除職務に就きうる蓋然性はなかったとも断定できないことから、右被告の主張は理由がない。

また、原告は「Cコースは六年のうち、六年目まではどこで働いても四年間は免除の対象となると聞いて今まで異動してきています」と財団へ回答していることから(乙一一)、原告は説明を受けて本件規則を理解していた旨被告は主張する。

しかしながら、右原告の回答は、要するに芳野病院での勤務期間に該当する期間はどこで働いても免除の対象となると聞いていたという趣旨と理解され、右原告の回答を考慮しても、原告が免除期間を十分理解していたとみることはできない。

ところで、原告も、本件貸与金返還の条件に関し、当事者である以上当然関心を持って注意し、芳野病院に勤務するに際し、免除期間に含まれるのかどうか医局あるいは財団に確認する注意義務があったと認められるところ、何ら確認せず当該免除期間に含まれると考えていたことが認められることから、損害の公平な分担として原告の過失を一割と認め、民法七二二条二項により過失相殺するのが相当である。

そうすると、次の計算(甲五、六)により、原告が受けた損害額は一〇六万一七七三円と認められる。

1  利息を含めた本件貸与金合計

一〇六一万七七二四円

2  芳野病院を免除期間に算入しない場合(甲五)

一部免除額 六九八万〇一七〇円(一〇六一万七七二四円×七一か月/一〇八か月)

返還額 三六三万七五五四円

3  芳野病院を免除期間に算入した場合

一部免除額 八一五万九九一八円(一〇六一万七七二四円×八三か月/一〇八か月)

返還額 二四五万七八〇六円

4  以上2と3の差額一一七万九七四八円(本件請求額)に前記過失相殺すると、106万1773円(117万9748円×0.9)となる。

三  争点2(被告第二内科の教授らによってなされたJR九州病院への就労指示ないし原告に対する退局強要行為について、被告に不法行為責任が生ずるか)について

本件の争点の前提として、本件の予備的請求について訴えの変更が許されるか検討するに、予備的請求原因の事実経緯については、原告の陳述書(甲九)で事前に述べられており、証人尋問や本人尋問でも触れられている上、派遣先指示の違法性が共通の問題となっていることなどから、新訴と旧訴の事実資料の間に審理の継続的施行を正当とする程度の一体性・密着性を肯定でき、請求の基礎の同一性を認め訴えの変更は許されるものと解する。

そこで本件争点を検討するに、前記争いのない事実等及び前記認定事実からすると、原告が被告第二内科の中島教授から指示されたJR九州病院での勤務を断った主な理由は、同病院では心臓カテーテル検査があり、危険が伴うもので、原告の目標とする領域ではなかったこと、その後平成一〇年五月の連休明けころ、太﨑助教授から退局を確認された当時、既に原告は別の職場である北九州市の受験を考えていたこと、太﨑助教授との会話においても原告が医局を辞めず別の派遣先にしてくれるよう交渉していた経緯は認められないことなどの事情が認められる。

右事情に照らすと、原告が被告第二内科を退局したのは、原告自身の判断が加わっていた面が強いと推認され、中島教授及び太﨑助教授の行為について、違法な就労指示であるとか退局を強要したものと認めることはできず、被告が不法行為責任を負うとはいえない。

よって、原告の予備的請求は理由がない。

四  以上の次第であるから、原告の主位的請求のみ一部理由があることから、主文のとおり判決する。

(裁判官・中嶋功)

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